2011.8月号

 2011.3.11の東日本大震災から4ヵ月が過ぎ、被災地の方々は安心・安全を第一にしたモノの考え方・行動をする傾向が強いという。確かに機械はいざとなったら、一定の指示以外は何にもしてくれないことは、当たり前なのだが、日常的に家庭内は冷蔵庫があり、万能で役に立つものと思っていた。車のガソリンは一定のボタンを押すと出てくるものと思っていた。我々は安全・安心はお金で買えるものと思っていた。誤解を招く例えだが、ガード会社のセコムと契約していれば良いと、いくらか勘違いの社会で生きてきた。ところが、いざとなったら、電気のない冷蔵庫も、人間不在のガソリンスタンドもガード会社のシステムも何にも役に立たない、頼りにならないことが、嫌というほど知らされた。頼りになるのは、人間としての生き様、会社の理念が危機に遭遇した時に出てくることが露になった。諸外国ではその日本人の緊急時の人間関係の良さ、振る舞いが、世界に例のないマナーであると絶賛しているという。日本人にとっては、恥を知る文化を小さい頃から、たしなめられて育ってきたゆえか、当たり前の行動になっている。自己主張の強い外国の方には、信じられない行動に映るのでしょう。確かに阪神大震災の危機意識は、日本中がテレビを通じて、共有したはずだが、やはり、だんだんと時間が経つにつれ、国は災害対策より優先順位をどんどん上に持っていく設備や物資に力を入れ始め、安全対策は新しい科学的屁理屈をつけて科学者は想定を作成してしまう。国は、市は日本だけでなく現実の生活にすぐ関わるモノにお金と力を投入するのは当たり前かもしれない。我々人間の弱さかもしれない。しかし、今度は1995.1.17の阪神大震災から16年経過した2011.3.11の東日本大震災を経て、我々は何を学ばなければならないのかを、毎日の生活の中で突きつけられている。東北の方々の話を聞くと、日頃の心構えの積み重ねであると言う。私共の会社は2009.6.5に店の防火壁に「ここは海からの高さ」を表示してある看板(上記右上の写真)を貼ってきました。初めは、お客様の多くの方々から何のためにと質問されていましたが、最近は「わかったよ」と笑顔で答えてくれます。阪神大震災にプラス津波を想定してこの看板を設置していた。しかし、今度のプラスは原子力発電という、素人には想定できないものが入ってきた。過剰な反応もいけないが油断もいけない。少しゆっくりと落ち着いて議論をしよう。

魚谷 直孝