2011.6月号

 地震危機は数十年に一度あるいは百年に一度、千年に一度ということが、たかだか我が生きる80年の中に起きてくるから始末が悪い。関係ないでは済まないことが生じてくる。我が生存中に100年に1回のことは遭遇しないものと心に決めていた。しかし地震学者が言うには、日本列島は活発な運動を起こしている地震の上にあるという。いつでも根室にも当てはまるという。では、小さいながら商売をしている者にとって、今回の東日本大震災にて、どんな目に会って、どんな事を考えたかの角度にあててみたいと思います。確かにお客様は神様、どんな無理難題でも耳を傾け頭を使い、お客様の要望から仕事をしなければならないと習ってきた。通信や物流の発達が急成長して、企業や消費者はカネさえ払うなら、お金を持っているなら、すべての必要な原料や資材を買うことが出来ると思ってきたし、勘違いを許す社会構造になっていた。東日本の一部が被災をすると、車でいえば世界中の車生産がガタガタになる。世界中に在庫を持たず、持てば倉庫料や金利がかかり、持たない経営をしないと経営競争から脱落してしまうからである。周りの協力がなければ、水道の蛇口を開けてみても水が出てこないことが、少しわかってきた。作るものが、売るものが、買うものが、どこか一方的に優越権を持って、一つの業界を牛耳ると、大きな歪みがマグマに潜み、大きなことが起きると、あたふたすることが表面に出てくる。日本の30年~50年計画など、一つの事象で、簡単に大きな軌道修正をすることになる。言わんや、小企業など毎日が右往左往の連続である。町も、企業、もちろん消費者も、自分の周りの関連する会社を、ある程度、育てていくという柔軟な姿勢を持たなければ、気がついてみると、我が町は荒野の原野になっていた。その時、気がついてみてもその町は復興しないことになる。中国の故事を出して申し訳ないが、何か人知を超える出来事が発生したなら、その地をどう育ててきたか、その周りにどう関わって生きてきたか、その周りの支える総合力によって復興出来るという。政治とか東京からの助けは言うに及ばず重要ではあるが、第二次的なものであるという。北海道は漁業・農業・観光の三本柱である。大切であるがゆえに市民から愛されることが復興の声を拡大する力となってゆく。

 (魚谷直孝 )