2011.2月号

 昨年の12月28日に、名古屋市から、次女が2人の子供を抱えて帰省した。なんと孫達が高熱を出しての飛行移動である。確かに1年に1~2回の故郷への旅であるから日程そしてフトコロ計算をすると、変更はなかなか出きないのであろう。マスコミ等で根室医療の現状をいくらか知らされて、老いかかっている父親としては慎重な忠告を一言入れたいが、娘の判断が上の決定である。一晩、寝かして様子を見たが、熱が思うに下がらず、1229日市立根室病院小児科へ娘は髪を振り乱して連れて行った。私としてはコンビニ受診などの弊害をチラシまで入れて、受診者のマナーを問うている現状に、病院へ行く体のタイミングを見るのが、なかなかわからない。ましてや暮れの多忙と思われる時にである。体の事でも遠慮が先に出るといって笑われるが、私が話をする市民の多くは、かなり気を使っているのがわかります。学校のPTAなどでも、とんでもない事を主張する親をモンスターと呼ばれているようだが、どんな社会にも存在する気がしてならない。ところで娘は病院から帰るやいなや興奮状態で市立根室病院の素晴らしさを堰を切るかのように語る。確かに時間はかかったが、患者数を見たら、それは仕方がない。一人にかける時間は多く、丁寧に名古屋市での現況からこれからやる検査をわかりやすく説明してくれて、小児を持つ不安を説明で納得させる。それに、周りに根室で遊ぶお子さんがいませんかの配慮があり、その子達にも予防の知識・薬などの提案があった。名古屋にいても、根室ッ子であるから根室の医療事情が苦戦しているのが、少し入っている。そのイメージが全くもって違うではないかと詰問される。ちょっと病院は古くさいが、この真摯に医療に向かっている先生達を大切にしなければ、ならないのではないかと説教された。どうやら、私達は、あまりにも身近なものは、今更ながら、当たり前として特別な評価なり、存在なりを深く尊重しない傾向がある。ここを根室から離れた我が子に言われ、お餅大好き人間である私の正月は注意をしながら口に入れて、医療は信頼感が大事なことを教わった年末年始であった。 

(魚谷直孝 記)