2011.11月号

 この頃、世の中の話をしているテレビを見ていても、仲間との雑談をしていても、思う世にならない最後の締めは政治家が悪い、アホだからの政治家のせいにして終わる場合が多い。頭の良い誰かが、政治家に責任転嫁してほくそ笑んでいる演出家はいないだろうか。世論のガス抜きの道具にされているとしたら本当の政治家はかわいそうです。いつの時代も若さと頼りなさそな世代が世を引っ張り、変えていくにもかかわらず、私自身が老いてきたからか、TVなどに出てくる政治家が若くて頼りなさそうに見える。この点は充分に気をつけなければならないと自戒もする。しかし、心情を吐露している生ちょろい政治家よりは結果に責任をもって、頑固に政策を進める政治家に憧れる。我々は、この国会議員は、何をしようとして手を挙げて一票をもらいに出てきたのか、何をしたかの評価を厳しくやっていくことが尊敬される政治家を育てていくことになるのだろう。世界中が国民は立派だが、右顧左べんする政治家がだらしないから、このような情けない、危険な予兆のする世界を作りあげてきた。見方を変えれば、議論をしても最後に行き着く先は世界の各国の意見はまとまりがつかなくなり、貧すれば鈍する世界になり、世界の15%の民がほくそ笑む社会が来る明るい見通しがない現実の処方箋は、やはり政治家のせいにして、ごまかして一時しのいでいる傾向はないか。言葉で叩いて、溜飲を下げて誇りなき政治家を育てている余裕時間はないと感じています。政治家をかばっているわけではないが彼らの習性からいうと我々に甘い事実認識しか言わない。そして、日本ばかりの傾向ではないような気がする。当たり前だが世界が一つの経済にリンクしている最近では、一国の努力ではどうにもならないと思うときがあり、一国の政治家でもどうにもならない世界がきているとも我々は認識しなければならないと思う。多分、わからないが、今までの我々の票を投じる、主張するやり方は大変換をしなければならなくなってきたのではないかと思う。

魚谷 直孝