2011.5月号

 今月のボロ・ペンは重い。東日本大震災のことで書きたいのだが、何を記しても、自分ながら、薄い感じがわかり、まとまらない。なんと、私達の生活をしている足元は、こんなにも脆弱なものかと、大地震の現実から思い知らされる。日本全体の電力不足があらゆる面で消費者生活を不安にさせ始めている。東京電力は夏場の電力需要の20~30%が不足となるから、対応して欲しい。対応できなければ、国家統制すると、国民は驚かされている感を受ける。この夏だけは東京には行かないぞとは思うが、では、一局集中型の東京に人間が集まらないならば、お金がまわる経済は成り立つのだろうか。石油もエネルギー供給構造高度化法により日本中で作り過ぎとして製油所を統廃合しているが全国の製油所の配置は大丈夫なのでしょうか。合理化を重ねた精製、油槽所などの物流のもろい姿を私達は学んだ。世の中の電気はオール電化の大合唱で使用増を計り、石油は政情不安定の中近東から大切に仕入れてきたものを安売りの大合戦で競い、挙げ句の果ては、今度は節約してくれメッセージでは日本中がオール自粛で縮みあがり、復興資金をつくるお金がまわる経済は動かなくなる。私共はエネルギーの多様化・分散化をするべきと、その必要性の認識を主張してきた。しかし国は環境問題から原子力エネルギーがクリーンエネルギーとし、危険性を表面に出さず、原子力エネ依存度を高くしてきた。確かに太陽光、そして風力エネルギーの利用促進をしているが全体の比率からいうと、遅いペースに焦りを感ずると思う。しかしエネルギー政策は階段の踊り場があるように余力を持って、進めなければならないことがわかってきた。国も一つの家も、エネルギーは多様に入れていくべきと思う。太陽あり、風あり、石油あり、ガスあり、そして原発あり、もちろんメーンの電気が家を明るくする、そんな構想が地震国日本のイメージに合う気がする。こんなことを書いているうちに心配性面もある私はお米のことが不安になってきた。余り過ぎて減反政策をとっているが大丈夫なのでしょうね。やはり主食は我々は米だが生産する場所は分散化された政策が良いと思っている。これからの根室の街づくりに、色々なことを考えさせる今回の大震災です。

(魚谷直孝