2012.7月号

防犯・監視カメラと背番号制

‘95年3月に発生したオウム事件が解決されてなく、容疑者が、まだ逃亡しているとのテレビニュースを見ている。克明に、逃亡者の足取りが、なんと、監視カメラに映っていることが私共は別の視点で知らされた。こんなにも多くの防犯カメラがあることを今さらながら確認された。そういえば、我々の身近にも、防犯カメラのコンビニ店とか監視カメラのセルフスタンドなどは法により設置され、どんな人が入り、どんなものを買い、どんな服装をしていたか、時には、どんな行儀の悪いことをしているかなどを、中からリアルタイムですべて見えているわけです。カメラに映ることを前提としてやましいことをする時は変装スタイルをする、いやな時代に突入しています。我々が使用している電子カードで買い物などをするとその本人のデータの蓄積を10年もすると、志向、傾向がほとんど読みとれるという。世界をみても先進国のイギリスは440万台の防犯・監視カメラがあり日本が、まだ330万台というから、これから増えていくと予想される。それもカラーで精度が高度になり、素顔を撮られると、もう国内で逃げきれるものではなくなる社会になってきた。悪いことをしたゆえにデータを活用されるのは仕方がないが、一般の人々の情報が知らない所で検索されているとしたら、不安を感じます。でも、一方では、そんな悠長な安定感のある社会ではなくなってきた事件も多発している。理由なき不特定多数への殺人も多くなり、防衛のため、あらゆる近代的機器を多用する社会でもあると認めざるを得ない。車番を読みとる国道のNシステムカメラは、国道上に於いて事件が発生すると、威力を発揮する。それでは、日本国民すべてに社会保険から年金とか車の免許などバラバラの番号を生まれた時に1人一つの背番号システムにしてしまうと、網目からこぼれるものはほとんどなくなり、行政的管理システムはしやすくなり、今、問題となっている多くのことは困難さを克服しやすくなるが、果たして、管理コストが低減できるから賛成ですと言うには私の頭の中は整理がつかない。人間がなぜ番号でなく名前をつけて生きてきたかのもとからの議論をしなければ、とんでもない社会にもなる気がしてならない。

                                                          (魚谷 直孝 )