2012.6月号

違和感

 何かに問題ありで、何かというと監督官庁の行政は何をしていたのかと世の中は問う。それでは、常に国民は国家に監視してもらって生きよという図式になりませんか。行政スタッフを究極は1対1にして国民を点検せよのことになる。そして、やりすぎで財政が貧乏になるにつれ給与と人員を減らせとなる。問題の原因解明より、責任転嫁のたらい回しになっている。頭が良い人が良い動きを持って本当に働き出すと、もの凄い力になる事は誰にでもわかる。頭脳を腐らせている気がしてならない。1億2千万分の1の人間として心配になってきた。納まりは監督官庁の吊るし上げで問題をうやむやに片付けをしてしまう。汗を出している担当者は、多分、会見などが終わった身内の楽屋裏では、世界全体の構図・仕組みからくる要因が多いゆえ、正解がすぐ出ないのに、なんで俺達が矢面にさらされるんだとボヤいているのが目に浮かぶ。世論の操りに大学の先生達が利用されているのではと思う場が多くある。都合が悪くなると首を引っ込め、流れに乗ると頭を出す。大学という城壁に囲まれ、中立の立場のふりをして、僅かの責任、痛みを伴なわない言論を広げている。始末が悪いのは、私達は大学の先生という名でもって、なんとなく世論が引っ張られる恐ろしさを感じる。中国も東南アジアも日本並みの生活水準になるには、いくらの年数が必要か。世界中の人件費コストが、おおまかに均一にならないと問題のデフレは止まらない。安い所の国に流れるのが経済原理です。それまではこの「いかに安く売るか」戦争が続き、人件費コストを下げ、人を雇用しない機械化することが世界中の主流になり、世界の多くの国民の貧困化は止まらないことになる。多分、我々はドロ沼に足を入れているのに気がつかないのかもしれない。しかし、嘆いていては、口の周りまでにドロがきている、そんな余裕はない。正解は見えないが、未来の人間の知恵は中国でもない、北朝鮮でもアメリカでもない、日本国民が持っている「中庸」が世界を救う道である気がしてならない。

 (魚谷 直孝 記)