2012.3月号

いつの日か 無になる命 だが磨く   

 2月の大雪の中、札幌に私達のお店の機器を製造する会社の実践研修に参加した。この会社は名古屋を本社にして洗車機などを主として提案しているのだが、機器を売るのではなく我々の経営安定のためになる姿勢を貫いている良い会社です。だから、商品のプレゼンテーションは全体の10%程度、約80名の受講者を前にして、あとは時代の変革にどう乗っていくかの話でした。若い講師は前列に座っている3040代の青年受講者達に場の進行のため、「心の在り方」を簡単な答えやすい質問攻めをしてくる。しかし、先生の誘導する答えにはならなくて、少し気落ちして焦りの心が垣間に見える。そのおかしさが面白い。今年の2月で古希を迎え、経営の仲間として、年齢では古さに入り、日本的な研修の場へ参加し討論に加わるが、まわりが若くて、眩しい心地が多くなってきたなとは、薄々感じはしていた。帝国データバンクの全国法人企業の経営者の平均年齢は年々上昇傾向で60歳に近づきつつありますと伝えている。最近までは若者に交じり老いても学ぶということを信じて行動してきたが、今年の学び始めで、受講者を眺めるにつれ、30代の若さも、ちらほら見える。やはり4050代が圧倒的に多い。自分の学ぶ姿が妙に恥ずかしくなってきた。周りは、きっと、あんな爺さんになってまで人様の話しを聞くことまではしたくないなと思っているのではないか。がぜん自分がその場に染まらない人間に見えるのではないかと体感しつつ研修を終了してきた。その晩に息子の嫁の御両親と会食しながらグチを言うと医学の世界も日進月歩で学びがなくなると終わりですよと励まされ帰社した。消したつもりの弱腰の火種が燻りつつの折、道新214日読者の声「老いても研さん93歳の句に感銘」が目についた。「いつの日か 無になる命 だが磨く」とあった。今度はこのような弱気な自分が気恥ずかしい。気弱な冬が終り、多くの人々の生き方に教えられ支えられる幸せを感じる春がすぐそこに来ている。

(魚谷直孝記)