2012.10月号

国境標石第1号拓本の発見裏話

 最近、私共が身近に関わりあう北の我が北方四島領土から南は尖閣列島、竹島の諸問題がわっとふき出し、日本中が、国境とはどんな理不尽なことがまかり通っているかを広く世に知ることができている。皮肉なことに、オリンピックだけのナショナリズムではなく我国の国境の見直しの強い気運が起きてきた。ここは覚悟と重心を低くする所です。正統派の日本は国際裁判所に提訴を始めるようではあるが、裁判所であるからには証拠資料を山ほど積み上げなければならない。そんな折の6月初旬に帯広から、私の小学生6年の時の手紙であるから、57年前の封筒付の手紙を保存して、音信不通であった私を捜し出してわざわざ届けてくれた方が長屋正美氏という方です。お会いした時は、やはり、わずかの面影がありましたが、出来事を保存する・記録するということに、大変に熱を出す傾向があると感じていました。ある日、長屋氏は電話でサハリンの国境の写しが知人の家から出てきて、処分を任せると言うが、資料としての鑑定ができない。根室で調査して保存が出来ないかと問うてきた。根室側との問い合わせの段階で若干の行き違いがあったが根室市歴史と自然の資料館の猪熊学芸員を紹介して、ことは進み始めた。8/1に帯広から車で、老いた御夫婦で持参していただき、資料館にご案内をした。鑑定の結果、国境標石「第1号」の拓本であることが判明した。資料館の写真説明書の第1号は旧日本郵船㈱小樽支店所蔵の拓本のコピーである。それが、本物の拓本になった興奮を覚えました。国際的な揉め事に囲まれている現在、このような資料の保存・鑑定の役割、専門スタッフの研究の重要さを今更ながら確認をしました。それにしても、一円にもならないことを何ヵ月もかけて問い合わせをしている御夫婦を見て、麻袋みたいなものに墨で墓石みたいなものから写しとったものですから、私のようなものは途中で投げ捨てていたかもしれない。人間は色々で、同じでないからいいのだとつくづく思った3ヵ月間の流れでした。

                                               魚谷直孝